中世ヨーロッパの風景 < 城について >

5.城の概観

5−3.そのほかの施設


外郭

 外郭(フォアブルクVorburg)とは、もっとも外側の城壁と、二番目の城壁の間の空間です(フランケン地方では外庭(フォアホーフ)、フランス語ではバス・クール)。類語に、ツヴィンガー(外壁と内壁の間の空間)があります。

 外郭は、職人の居住や避難民のための区画でした(城塞都市では市街に相当します)。そこには職人−古くは下僕(ゲジンデ)とも−の家屋と、経済活動用の建物がありました。納屋と厩舎には、遠乗り用の馬、そして山頂付近で草木を残さないため羊と山羊が飼育されています。納屋は穀物倉であり、もし穀物が余れば都市に売却されました。籠城に必須の食糧は、同時に大切な収入源でもあったのです。このため、騎士はふだんろくなものを食べられませんでした。
 木材や木炭のような備蓄品は、外郭の中に積み上げられています。もし城に鍛冶場がある場合は、火災の危険と騒音のために外郭の近くにおかれました。鶏小屋、鳩舎、犬の檻、魚壕、水槽も同じです。夜間には、柵の内側に犬が放たれました。

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中庭・地下水槽

 中世の城郭内は、外郭の中にも城壁が立てこみ、いくつもの空間に仕切られています。そこには、城内からの裏切りや、急襲に対する日常的な配慮が見てとれます。
 中庭(ハウプトホフHaupthof、内庭)は、内城壁に囲まれた空間です。内門、遮断堀(アプシュニツグラーベン)の上を通る狭い通路、あるいは簡単に遮断できる屋根つきの防御回廊を抜けて、ようやく中庭に入ることができます。

 あまり広さはなく、アウフゼス領主のノイハウス城を例にすると、中庭の大きさは、縦が約15mで横は約10mしかありません。騎士物語に出てくるように、大きな城の中庭で騎馬試合を行うのは無理な相談でした。それどころか、馬は中庭から閉め出されるのがふつうでした。なぜでしょうか?
 中庭の地下には、地下水槽が備えつけられています。雨水を集め、(井戸だけではどうしても不足しがちな)貴重な飲料水・消火用水を確保するためでした。もし中庭に馬をつなぐと、馬の尿が水槽に入り、馬尿酸のために水が飲めなくなってしまうのです。(こうなると煮立てずに飲用とするには、酸っぱいワインを大量に投入するしかありません。)


井戸

 城郭には、井戸が欠かせませんでした。なぜなら、城郭に籠城するためには、十分な食料と水の確保が必須の条件だったからです。城外の攻城軍からじゃまされずに水を確保するため、城主たちはなにをおいても深い井戸を掘らせました。(城外に井戸がある場合、独自の塔や防壁で守られ、水は管か暗渠で城に導かれていました。しかし、攻城軍に給水ルートを断たれる危険をつねに伴いました。)

 井戸の深さの平均は、40〜60mといわれています。
 少し例をあげると、ニュルンベルクのカイザーブルク(皇帝城)には、外郭の小屋に「ティーフェブルンネン」とよばれる深さ53mの井戸があります。深い井戸になると、ニュルンベルク城では70m、クルムバッハのプラッセンブルク城では100m以上、ヴェルニツ河畔のハールブルク城では、なんと128mに達しました。

 これほどの深い井戸を掘るには、長期にわたる労働、そして莫大な費用がかかったことでしょう。井戸を建造するのにかかった費用はきわめて高価であり、城のほかの部分すべてに匹敵するといわれています。
 これは誇張ではなく、1600年頃、フリツラー近傍のホンブルク城では、25000グルダ(約1500万円相当)の資金を投じて井戸を掘ったそうです。
 これだけ苦労して掘った井戸ですが、あまりに深いために迅速に水を供給することはできなかったと思われます。火事などの危急の際には、たぶん役に立たなかったでしょう。そこで井戸だけでなく、貯水槽・地下水槽も必要になるのです。
 またここでも、資金不足のために、水槽だけで我慢する貧しい城主もいました。

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地下道・地下室

 私たちが城について抱いているイメージの一つに、秘密の地下道があります。
 攻城軍に包囲されても、外との連絡を保ち、補給を続けられる地下道。いよいよ最後というとき、夜陰にまぎれて無事に脱出するための地下道。
 まあ、実際にこうした地下道がなかったわけではありません。
 山上に築かれた司教城と、麓の都市とのあいだに秘密の通路があり、司教がこっそり使っていた、という例もあることはあります。

 しかし、秘密の地下道が実在するケースはごく稀です。だいたい、それほど秘密の地下道が一般的なら、城主たちがベルクフリートなど最後の砦にこもって戦う必要はなく、ただ逃げ出せば済むはずですが、そんな話は聞いたことがありません。

 むしろ、人間や動産を隠すための、秘密の地下室の方がよっぽど多かったようです。
 バーデン・ヴュルテンベルクにあるヴィルデンシュタイン城は、礼拝堂祭壇の前の段が落とし戸になっており(!)、長い梯子をつたって地下室に降りていくことができるそうです。隠された、幅の狭い螺旋階段というのも良くある手口でした。
 地下室が牢獄として使われたとき、囚われた捕虜の居心地の悪さは、ベルクフリートの地下牢といい勝負だったようです。ザールブリュッケン近傍のダウン城の牢獄の中には、捕虜を壁につないだ鉄枷が残っています。

【コラム】井戸は秘密の抜け道?



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